大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和28年(う)714号 判決 1954年2月12日

控訴人 原審弁護人 梅田鶴吉

被告人 柏原静江 外一名

検察官 高橋道玄

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人梅田鶴吉の各控訴趣意は末尾添付の書面記載の通りである。

同各控訴趣意第一点について、

公訴事実は訴因を明示してこれを記載することを要し訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないことは所論の通りである。しかし訴因の記載が不明確な場合に、その補正追完が絶対に許されないものとは解し難く、検察官自ら又は裁判所の釈明により検察官はその不明確な点を補正追完することはもとより許されるものと解するのを相当とする。本件起訴状記載の公訴事実をみるに「被告人両名は昭和二七年一〇月一日施行された衆議院議員選挙に際し徳島県から立候補した柏原義則に投票を得しめる目的を以て共謀の上同年九月一一日、同月一二日に亘り選挙人である徳島県海部郡三岐田町西田岐浦きんこと喜井キン外九名の宅を戸別に訪問し右候補者の為投票依頼をし以て戸別訪問したものである」と記載されていて、喜井キンを除く九名についてはその氏名と戸別訪問をした日時、場所は特定していないけれども原審第三回公判調書に依ると検察官は起訴状訂正(補正追完の意と解する。)の申立を為し裁判所の許可を得て右九名につきその氏名と戸別訪問をした日時、場所を明らかにしたことが明白であるから之によつて訴因は特定せられたものと云わなければならぬ、原審弁護人はこの補正追完に対し、異議を留めているけれども右の如き補正追完を許した原審の措置は固より相当であつて何等非議すべきところを認めない。従つて、弁護人の異議は理由がないから本件につき起訴なき事実につき裁判をしたという論旨は理由がない。

而して訴因は起訴当初明確を欠き後これが補正追完せられた場合であつても起訴は当初より有効と解すべくその補正追完せられたときに新たな起訴があつたと解すべきでないことは刑事訴訟法が二重起訴を許さない法理から見て理の当然であるから喜井キンを除く外九名に対する戸別訪問についてもその公訴時効は右戸別訪問の行為のあつた最終日時から進行するも昭和二七年一二月二日本件公訴の提起により停止したものであつて訴因の補正追完の時まで進行する謂れがないから訴因補正追完の時に公訴時効完成したりとする論旨は理由がない。

各控訴趣意第二及び第三点について、

原判決挙示の証拠を仔細に検討すれば被告人両名は相携えて有権者の各戸につき衆議院議員候補者柏原義則のため投票依頼をなすことを共謀し、両名同道するも被告人柏原静江をして戸別訪問の責を免れる口実を作るため先づ被告人寺島ヨシエが有権者の居宅に這入り投票依頼をなして有権者を戸外に誘い出したる上更に柏原静江より投票依頼をなした事実を肯認するに十分であり戸別訪問の罪についても亦刑法第六〇条の適用あること勿論であるから原審が被告人両名の所為を共謀による戸別訪問なりと認めたことは当然であつて原判決には所論のような事実の誤認はもとより法令の適用の誤もなく論旨は理由がない。

弁護人は被告人等が原判示の豊田早苗方、日開野綾方及び浜スミヱ方を夫々訪問したのは豊田方は下駄を買うこと、日開野方は梨を買うこと、浜方は被告人寺島が世話している浜の娘の近況を報告することが夫々主目的であつた旨主張するが原判決挙示の証拠を綜合して判断すれば被告人等は原判示の如くいづれも投票を得しめる目的を以て訪問した事実を認定するに十分であり又原審証人酒井ベンの供述は夫々検察官作成の被告人等の各第一、二回供述調書の補強証拠と為すに妨げないから原判決には証拠によらずして判示事実を認定した部分はなく原判決には所論のような違法もなく事実の誤認も認められないから論旨は理由がない。

弁護人の被告人柏原静江に対する控訴趣意第四点について、

記録を精査しそこに現われた諸般の情状並に所論の事情を斟酌しても原審の科刑は相当であつて過重とは認められないから論旨は理由がない。

その他被告人等に対する原判決には破棄の事由が認められないから刑事訴訟法第三九六条により主文の通り判決する。

(裁判長判事 三野盛一 判事 谷弓雄 判事 谷賢次)

被告人柏原静江の弁護人梅田鶴吉の控訴趣意

控訴理由第一点 原判決は被告人に有罪の宣告を為し其の理由説明に於て被告人は昭和二十七年十月一日施行された衆議院議員選挙に際し……(中略)共謀の上別表一覧表記載の通り……(中略)喜井キン外七名の宅を戸別に訪問云々」と別表記載の喜井キン外七名の宅を戸別訪問したりとの事実の認定をして居る。然る処本件被告人に対する起訴状は喜井キン以外の者に対する部分は不適法であり原判決は不適法なる起訴部分につき有罪の判断を為したるものであるから起訴なき事実につき裁判を為したるの違法があり当然破棄を免れないものであると確信するものである。原審記録に明かな通り被告人に対する検察官の起訴状記載の訴因事実は「喜井キン外九名の宅を戸別訪問し右候補者の為投票依頼をし以て戸別訪問したものである」と云うにあり、喜井キン宅を訪問したる事実は明示されて居るが「外九名の宅」とのみ表示されて居る事実は何人宅であるか全く不明で事実の特定がない。斯如き起訴状は其の不特定な部分については起訴が無効であると言わなければならない。刑事訴訟法第二五六条には「公訴の提起は起訴状を提出して之をしなければならない。起訴状には左の事項を記載しなければならない。(中略)公訴事実、罪名、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するにはできる限り日時場所及方法を以つて罪となるべき事実を特定しなければならない」旨明かに規定されて居る。罪となるべき事実が特定せず「外九名宅と云うが如き起訴状の訴因事実は右に云う事実の特定なきものであつてその部分については記載要件を欠いた無効の起訴状であり公訴の効力は発生して居らないものであると云わねばならない。原審第一回公判期日に於て検察官の本件起訴状朗読に付き右「外九名宅」と云う部分については公訴は無効であり被告人弁護人は防禦も出来ないので喜井キンのみの事実につき防禦する旨を陳述して居る。其の後本年五月二十一日第三回公判期日に於て検察官は起訴状訂正の申立を為し「他九名」を説明して居るが弁護人は此の訂正には異議を述べている。右検察官の訂正により「外九名宅の訪問の事実」が特定をしたりとするも既に犯罪の日より六カ月を経過し時効により公訴権消滅後の事で有効な公訴の提起ありたるものとはなり得ないものである。抑々刑事訴訟法第二五六条に起訴状には公訴事実を記載すべきこと、公訴事実は訴因を明示して之を為すべき事、訴因を明示するには日時、場所及方法を以つて罪となるべき事実を特定して之を為すべきことが命ぜられてある。その趣旨は特定した訴因を明示する意味であつて訴因が特定して居なければ何が起訴せられたか訴訟の物体が判明せず、又被告人において再訴の抗弁をしてよいかどうか解らないのである。従つて訴因の特定ということは絶対であつて、これが特定して居ない起訴は無効であり後日補正追完によつて有効となるべき性質のものでない。同法第三一二条には訴因の変更が許されているが、これは訴因の特定している事を前提とし、特定した訴因を変更すると云うことであつて、不特定な訴因を補足追完してその特定を許す趣旨ではない。(昭和二四年(を)新第六〇八号昭和二五年三月四日東京高等裁判所第十二刑事部判決同趣旨)又昭和五年(れ)第九七二号大審院判例の判示する処によるも有力者たる何某方を歴訪したとの具体的事実を挙示せず検事の起訴事実に単に「戸別訪問を為したり」と犯罪事実の具体的内容を明確に表示せざる公訴提起の手続は無効としている。特に新刑事訴訟法の起訴状に於ける公訴事実の特定は特に厳格に解すべき絶対要件である事は議論の余地がない。然るに原判決は此の有効なる公訴の提起なき事実につき裁判を為し、此の事実につき被告人を有罪と認定したる事は違法であるので、原判決は此の点に於て破棄せらるべきものである。

控訴理由第二点 原判決は被告人に有罪を言渡すに当り其の理由説明に於て被告人は相被告人寺島ヨシヱと共謀の上別表一覧表記載の喜井キン外七名の宅に戸別訪問を為したるものと事実の認定を為し、刑法第六十条を適用し被告人を相被告人寺島ヨシヱと共同正犯の行為と認定して居るものであるが、此の原判決の認定は事実誤認の違法があり、且、適条違反の違法があり、原判決は此の点に於ても破棄を免れないものである。原判決が証拠の標目に掲げる全証拠を検するに、被告人及び相被告人寺島ヨシヱの供述調書以外の各証人の原審公廷に於ける証言並に検察官作成の供述調書は相被告人寺島ヨシヱが居宅に入つた事実はあるが、被告人柏原静江が選挙人の居宅に入つたり居宅に於て投票依頼をした事実は無い、何れの場合に於ても被告人柏原静江は戸外道路上に於て頭を下げる程度の挨拶をしたり又は「どうぞよろしく」と云う程度の挨拶を為して居ると云うに過ぎないので、此れ等の挙示証拠の内には被告人柏原静江が相被告人寺島ヨシヱと共同正犯の関係にあるものと認定するに足る資料は少しもない。次に相被告人寺島ヨシヱの検察官に対する第一回の供述調書中に「そして私は柏原静江さんに家の中へ入つて投票を頼むと違反になるから後で若し判つたとき義則さんや貴女様に迷惑をかけたらいかんから私一人が家の中へ入り頼むから貴女に家の外から頼みなさい、と云いました。柏原静江さんもそれに同意しました」と供述し居り、検察官に対する被告人柏原静江の第一回供述調書に寺島さんは――(中略)そんな事で心配せんとき奥様が折角ここ迄来たんやから私が知り合いの家へ廻つて行き私がその家の中から道路迄出て貰うから奥さんは道路で挨拶してお辞儀したらええから私について来なはれ、と云いました。私は家の中へ入つて頼まなければいいと考え寺島さんの云う通り一緒に行かうと考えました。寺島さんは私に奥さんが家の中へ這入つて頼めば違反になるから私が家の中に這入つて入口に出てもらうから奥さんは道路で頭を下げたらそれで分るからと云うて呉れました。」と供述して居る次第で、被告人は相被告人寺島ヨシヱが戸別訪問をする事については共同して其の実行行為をしたものではない、同人が戸別訪問をするにつき依頼した事もなく其の意思決定にも実行行為又其の幇助にも別に被告人の共同加工は何もなく、又、被告人が相被告人をして戸別訪問の実行行為に当らしめたものでもなく相被告人が独自に戸別訪問を為す意思を決定し、且つ其の実行行為を相被告人が敢行したるのみである。然して相被告人は被告人は候補者の妻であるから家の内へ這入ると違反になるのでその様な事になれば候補者に対しても被告人自身に対しても気の毒であるから被告人は戸別訪問になる様な行為をしてはならぬ、戸別訪問の行為にならぬ様個々面接の方法による運動をせよと相被告人に勧告した次第で、被告人は相被告人の右勧告に従い自分は家へ這入らず外で道路で挨拶をする謂所個々面接の方法で違反にならぬ様な方法で運動しようと決意し個々面接をした迄であつて被告人が個々面接をするについては相被告人寺島ヨシヱが教へ勧告をし、又便宜を計つたものであるが、相被告人の戸別訪問の行為に対し被告人が共同関係を持つた事は断じて無く原審全記録を通じて被告人の戸別訪問の行為に付相被告人寺島ヨシヱと共犯となる証拠は断じて無い次第である。被告人は新法により取締より除外された個々面接行為をしたに過ぎないものである。戸別訪問と個々面接は選挙運動として全然別の方法である。然るに原判決は被告人が相被告人と共謀で戸別訪問をして居らぬのに共謀と認定したのは事実誤認であり、又その様に認定する証拠が無いのにその様に認定したのは証拠によらずして事実を認定した違法があるものであり、且つ前段記載の様に証拠と認定とがくい違つて居る違法があると云うべく原判決は此の点につき亦破棄せらるべきものである。

控訴理由第三点 原判決は被告人が喜井キン外別表記載の七名に対し戸別訪問を為したりと認定しているが左記説明の様に被告人は何れも道路上又は公道と見られる居宅外の場所で挨拶を為したのであり、此の被告人の行為は個々面接による選挙運動とはなるが公職選挙法第一三八条に謂所戸別訪問に該当する行為でないものであるのに之に該当するものとして被告人を有罪としたもので、此の点につき原判決は事実誤認の違法があり、或は法律の解釈を誤り適用すべからざる罰則を被告人に適用した違法があり、原判決は此の点に於ても亦破棄を免れないものである。(1) 先ず喜井キンに対する点につき原審記録を精査するに原審第二回公判調書中喜井キンの証言調書によれば「私が道で子供の守をしていたら被告人等に頼まれました」又弁護人の問に対し、問「証人は最初被告人らを見たわけではないか」答「はい私はその時丁度子供に裏で便所をさしていたのですが浜さんという方がおいでになつて誰もおいでにならなかつたのでよろしく頼みますと言つていたと云うことを聞かされたのです」問「その時何処に来たと言つたか」答「入口です」問「入口は何か」答「それは店先です」問「その入口はどんな工合になつているのか」答「私の店は田舎の小さな新聞販売店でありますが新聞は配達の残部を少し小売にするのに並べる程度の規模で、その大きさは奥行間口共に一間位の大体一坪程度のものです」問「その店は道路との距離はどうか」答「道路に添い道路に接着して家の敷居のすぐ外が道路になつております」問「それならば被告人らは如何なる場所に於て言つていたと浜チヱ子は言つていたか」答「私が先程申し上げました店先とは私の店の敷居の外で道路上であります」問「帰途被告人等が立寄つた時にも敷居外であつたか」答「やはり敷居の外でした」問「その時は証人と被告人等はものを言いあつたか」答「私が店先で子供の守をしていたら会いましてものを言い合いました」問「道路の巾はどれ位か」答「四間です」以上の通りであり、被告人は勿論相被告人寺島ヨシヱも亦喜井キン方居宅は勿論其の店舗内若しくは居宅と認め又は何々方と特定し得らるる様な場所に於て投票依頼を為して居らない、又之れありと認めらるる証拠は原判決引用に係る全証拠の中には無い次第で特に被告人は本件喜井キンに対する行為は戸別訪問の罪を構成するものでは無い。且つ又喜井キン外九名とする起訴状の「外九名」の起訴が不適法とすれば喜井キン一人に対する戸別訪問は多数を訪問せんとする意思にて其の内の一戸として訪問したものとする、証拠並びに証拠説明もない本件に於ては其の犯罪の成立する余地がない。(2) 次に豊田早苗に対する事実については原審が証拠に引用する原審公廷に於ける同人の証言調書を精査するに「其の日私が店に休んでおりますと下駄を買いに来ました、それは二人の中どちらであつたか若い方の白い服を着た方でしたかその方が私が云々」又弁護人の問に対し卸品を飾つてあるのは道路からよく見える所であり被告人等は下駄を買う用で来た旨並によろしくと挨拶をしたのは商売をしてから後の話でした旨を供述して居るのみである。又相被告人寺島ヨシヱの検察官に対する第一回供述調書を見るに「西田岐へ来まして豊田と云う下駄屋さんに来ました。丁度私の下駄がいたんで居つたので私は柏原静江さんと豊田さんと店の中に一緒に這入り三十四、五才の娘さんから下駄を一足買いました云々」と供述して居るので豊田早苗方店舗内に被告人等が這人つた用件は下駄を買う為めであつた事は事実であり、其の用件である下駄を買つた後挨拶をしたに過ぎない次第である。而して公職選挙法第一三八条に謂所戸別訪問とは直接投票を得若くは得しめ又は得しめざる目的を以て為さるる事を要するが故に縦しや選挙に際し訪問をするも其の目的にして他に存する場合は戸別訪問罪を構成するにあらざる事は大審院昭和七年(れ)第九五号の判示する処であり、司法省は病気見舞の意思を以て有権者の居宅を訪問し一応病気見舞の辞を述べたる後投票を得しむる目的を以て御誘を為したる場合につき目的が真に見舞を為すにありて談偶々投票勧誘に及びたるものとせば戸別訪問罪とならずとの解釈を与へて居るもので、本件の場合豊田早苗方は相被告人の知り合でもなければ地方有志でも無く被告人に於ては全く未知の人であり偶々相被告人の下駄が悪くなつたので下駄屋の前であつたから店に這人り下駄を買つたのであり、其の店舗内に這人る真の目的は下駄を買う事にあつた事は一点の疑なきところであり、偶々話しの席に挨拶をした迄の事であるので本件の場合戸別訪問の罪が構成するものではない。(3) 次で日開野綾方に於ける関係を見るに之れ亦前項と同様当時盛夏の候漁村を歩き労れた被告人が咽喉を渇してたまらなくなつた際偶々果実店である日開野綾方店に二十世期の梨があつたので堪え難き渇を医する為め真に其の目的以外に何物もなく店舗内に入り梨を買い其処で食べさして貰う事とし早速梨を食し渇を医してほつとして居た際、被告人等よりは何の挨拶もせないのに右記日開野綾が元被告人の近くに住んで居た者で被告人をよく知つて居たので同人より「奥さんしつかりやりなさい」と云つて励ましてくれたので、これに対し儀礼的に「どうぞよろしくお願いします」と挨拶したにすぎない事は原判決引用にかかる右綾の原審公廷に於ける証言並に被告人及相被告人の検察官に対する第一回供述書に明かにされて居る次第で前項同様本件は全く真の目的は梨を食するにあつたものである事は疑を入れる余地の無い処であり、本件が戸別訪問罪を構成するものでは断然ない。(4) 浜スミヱ方訪問の事実につき原審引用にかかる記録を精査するに同人の原審公廷に於ける同人の証言に於て弁護人の問に対し、問「被告人等と証人とは何処で話合つたか」答「寺島ヨシヱさんとは私の店の間に入つて来て私は出口の所におりました。尚話が長くなつたので私がひよつと出口から店の外を見ますとどなたか女の方が居りますので私がどなたですか、と聞くと柏原ですと答えました。柏原さんは家の中には入りませんでした」問「柏原は何用の為めに来たか」答「何の為に来たかその時は知りませんでしたがあまり寺島さんとの話が長かつたのでその間にひよつこり外を見ると女の人が居たので声をかけたのです」との供述により明かな通り被告人は断じて同人店舗又は居宅乃至は其の屋敷内にも立ち入つた事は断じて無く道路上に居る際右チヨ子より聲をかけられたのである事原審記録上極めて明かであり、被告人の本件行為は戸別訪問の罪を構成するものでは断じて無い。(5) 次で柴田モトヱに対する件につき原審引用の証拠を精査するに、原審公廷に於ける柴田モトヱの証言中検察官の問に対する同証人の証言として、問「被告人柏原とはどうか」答「私が買物に行く道すがら空地になつている処でお会いしました。その時柏原さんは、よろしく願いますと云つていました」と明言している次第で、被告人は公道上に於て右証人と会い挨拶をしたのみである事は一点の疑もないので本件も亦被告人に対し戸別訪問罪は成立せぬ。(6) 酒井ベン方訪問の件については原審引用にかかる原審公廷に於ける酒井ベンの証言は全く内容を以つて居らないもので其の他被告人の検察官に対する供述書の存在するだけである。被告人等の右供述書は各被告人に対する関係に於て証拠とする事に同意はしているが、被告人寺島ヨシヱの供述書を被告人柏原静江の証拠とする事には同意もして居らぬし且其の証拠調べもして居らないのであるから本件を有罪と認定するについては被告人の供述以外何の証拠もないのであるので本件を有罪と認定する事は出来ないものである。(7) 次に一山タツに対する関係に於ても原審引用の同人の公廷に於ける証言中にも「柏原さんは溝の向に立つていました。終始家から離れて立つていてものも言いませんでした」と明言している次第で前同様被告人に対し戸別訪問の成立する理由はない。抑々戸別訪問の罪の構成するが為めの被訪問の場所は従来の判例は必ずしも居宅たるを要せず社会観念上居宅に準ずる場所を以つて足るものとされて居るが公職選挙法に於て個々面接が認められたる今日に於てなお戸別訪問を取締の対照とされている点については個々面接の場合と異なり戸別訪問の場合に於ては衆人の目の届かぬ場所に於て行はれるので其の間或は投票買収等の違反行為が行はれ易い事の理由により尚之を違反として取締る事となつているものである事実の法意に見て明かであるから従来とは訪問の場所につき異なる解釈を必要とさる可きもので本件の場合の様に公道に直結する店先で衆人の目前に於ける挨拶行為の如きは例へそれが敷居から一歩店内に入つて居たりとするも又店に腰をかけての話をするも此の様な場所は戸別訪問罪成立の対照となる場合でない事現行法の解釈として当然であるとすべきものであるので、此の意味に於ても本件各行為は戸別訪問の罪を構成するものでは無いと確信される。然るに原審判決は以上の理由を排して被告人に戸別訪問罪を認定したのは違法であり破棄せらるべきものである。

控訴理由第四点 原審判決の刑は其の量定不当であり此の点に於ても破棄は免れない。原審記録に明かな通り被告人は候補者の妻であり夫の当選を願うの余り選挙の違反行為にならないと信じ法に於て許された個々面接をしようと考へ本件行為に及んだもので然かも其の範囲を超へた行為は無い。相被告人寺島ヨシヱは戸別訪問をする考へがあつたにしても此の相被告人の意思決定や実行行為に被告人は何等の関係をして居らぬ。相被告人が自から選んで此の挙に出でたものであり勿論被告人が相被告人寺島ヨシヱをして戸別訪問を為さしめたものでもない。被告人は相被告人の勧誘により道路上での挨拶であれば差支えないと勧められそれに従つたまでである。仮に法に違反するとするも其の犯状極めて軽微なものである。仮りに有罪とするも罰金刑につき、執行猶予の恩慈に浴さしむべきを相当と信ずるものである。因つて原判決は此の点に於ても破棄せらるべきものである。

被告人寺島ヨシヱの弁護人梅田鶴吉の控訴趣意

控訴理由第一点 原判決は被告人に有罪の宣告を為し其の理由説明に於て「被告人は昭和二十七年十月一日施行された衆議院議員選挙に際し……(中略)共謀の上別表一覧表記載の通り……(中略)喜井キン外七名の宅を戸別訪問し云々」と別表記載の喜井キン外七名の宅を戸別訪問したりとの事実の認定をして居る。然る処本件被告人に対する起訴状は喜井キン以外の者に対する部分は不適法であり原判決は不適法なる起訴部分につき有罪の判断を為したるものであるから起訴なき事実につき裁判を為したるの違法があり当然破棄を免れないものであると確信するものである。原審記録に明かな通り被告人に対する検察官の起訴状記載の訴因事実は「喜井キン外九名の宅を戸別に訪問し右候補者の為投票依頼をし以つて戸別訪問したものである」と云うにあり喜井キン宅を訪問したる事実は明示されて居るが「外九名の宅」とのみ表示されて居る事実は何人宅であるか全く不明で事実の特定がない。斯如き起訴状は其の不特定な部分については起訴が無効であると言わなければならない。刑事訴訟法第二五六条には「公訴の提起は起訴状を提出して之をしなければならない起訴状には左の事項を記載しなければならない(中略)公訴事実、罪名、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するにはできる限り日時場所及方法を以つて罪となるべき事実を特定しなければならない」旨明かに規定されて居る。罪となるべき事実が特定せず「外九名宅」と云うが如き起訴状の訴因事実は右に云う事実の特定なきものであつて、その部分については記載要件を欠いた無効の起訴状であり公訴の効力は発生して居らないものであると云わねばならない。原審第一回公判期日に於て検察官の本件起訴状朗読に付き右「外九名宅」と云う部分については公訴は無効であり、被告人弁護人は防禦も出来ないので喜井キンのみの事実につき防禦する旨を陳述して居る。其の後本年五月二十一日第三回公判期日に於て検察官は起訴状訂正の申立を為し「他九名」を説明して居るが、弁護人は此の訂正には異議を述べている。右検察官の訂正により「外九名宅の訪問の事実」が特定をしたりとするも既に犯罪の日より六カ月を経過し時効により公訴権消滅後の事で有効な公訴の提起ありたるものとはなり得ないものである。

抑々刑事訴訟法第二五六条に起訴状には公訴事実を記載すべきこと公訴事実は訴因を明示して之を為すべきこと訴因を明示するには日時、場所及方法を以つて罪となるべき事実を特定して之を為すべきことが命ぜられてある。その趣旨は特定した訴因を明示する意味であつて訴因が特定して居なければ何が起訴せられたか訴訟の物体が判明せず、又被告人において再訴の抗弁をしてよいかどうか解らないのである。従つて訴因の特定ということは絶対であつて、これが特定して居ない起訴は無効であり後日補足追完によつて有効となるべき性質のものではない。同法第三一二条には訴因の変更が許されているが、これは訴因の特定している事を前提とし特定した訴因を変更すると云うことであつて不特定な訴因を補足追完してその特定を許す趣旨ではない(昭和二四年(を)新第六〇八号昭和二十五年三月四日東京高等裁判所第十二刑事部判決同趣旨)又昭和五年(れ)第九七二号大審院判例の判示する処によるも有力者たる何某方を歴訪したとの具体的事実を挙示せず検事の起訴事実に単に「戸別訪問を為したり」犯罪事実の具体的内容を明確に表示せざる公訴提起の手続は無効としている。特に厳格に解すべき絶対要件であるから本件喜井キン以外の訪問事実に対する公訴の提起は無効である事は議論の余地がない。然るに原判決は此の有効なる公訴の提起なき事実につき裁判を為し此の事実につき被告人を有罪と認定したる事は違法であるので原判決は此の点に於て破棄せらるべきものである。

控訴理由第二点 前記控訴理由第一点の論旨認められないとしても原審起訴状訴因事実で明かにされたる事実は喜井キン方訪問事実のみであり、本件全事実が一罪なりとして外九名に対する起訴部分が仮りに有効なりとするもそれは喜井キンに対する事実が公職選挙法第一三八条違反の行為である場合に於てのみ考へらるべきものである。喜井キンに対する部分が無罪であるとせば外九名に係る部分の公訴の提起は如何なる意味に於ても効力を生ずる理由はない。然る処喜井キンに対する訪問は次項に於て控訴理由第三点の論旨前段<1>の項に於て詳記する様に犯罪を構成するものでは断じてない、無罪であり此の点に対する原審認定は事実誤認も亦甚だしいものである。然らば本件喜井キンに対する部分が無罪であり外九名は当然公訴の効力が発生せんのであるから此の部分を有罪とした原判決の違法にして破棄せらるべき事は論を俟たない処である。

控訴理由第三点 原判決は被告人の行為を戸別訪問の行為なりとし、公職選挙法第一三八条を適用して被告人に有罪の判決をしている。然し乍ら被告人の本件所為は公職選挙法に謂所戸別訪問の罪として同法第一三八条を適用すべきものではないものであり、原判決は此の点に就て事実誤認の違法又は法律の適用を誤り適用すべからざる事実に付き法律を適用し罪とならないものに対し有罪の判決を言渡したものとする違法があり、原審は此の点に於ても破棄を免れないものと信ずる。原審記録にして原審が被告人を有罪と認定したる証拠に引用した記録によると<1>被告人は喜井キン方に於ては同人の原審公廷に於ける証言中「私が道で子供の守をしていたら被告人等に頼まれました」又弁護人の証人が裏で子供に便所をさして居る時、被告人が来たと云う場所に就ての問に対する同証人の供述は「入口です」「入口とは店先です」「私の店は田舎の小さな新聞販売店でありますが、新聞は配達の残部を少し小売にするのに並べる程度の規模でその大きさは奥行、間口共に一間位の大体一坪程度のものです」「その店は道路に沿い、道路に接着して家の敷居のすぐ外が道路になつております」「私が先程申し上げました店先とは、私の店の敷居の外で道路上であります」「帰途被告人等が立寄つた時でも敷居外でした。私が店先で子供の守をしていたら会いました」と供述しているので、被告人の喜井キン方に於ける行為は公道からそれに接着して居る一坪位の所に聲をかけたが留守であり帰りに其の店の敷居の外に居る喜井キンに対し公道上で挨拶をしたに過ぎないもので此の点に関する被告人の行為は断じて公職選挙法第一三八条に謂所戸別訪問罪に該当するものではなく法の許したる個々面接運動に過ぎないものである。<2>豊田早苗方に於ける行為は下駄を買う目的を以つて同人店舗に入り下駄一足を買つたもので其の後に序に柏原候補の為め挨拶した事があつたまでであるが、同人方を訪れた真の目的が下駄を買う為めであつたものが其の目的を達した後談偶々挨拶をしたに過ぎない場合で大審院が昭和七年(れ)第五九号事件に於て判示せる通り此の様な場合には戸別訪問罪が構成するものでは無い。然して右の様に事実を認定すべき証拠は原審引用にかかる豊田早苗の原審公廷に於ける証言により明かである。<3>日開野綾方に於ける被告人の行為を原審引用にかかる同人の原審公廷に於ける証言中に見るに盛夏の候各方面を歩きつかれ咽喉を渇した被告人等が渇医する為め偶々店先に置いてあつた梨二十世紀に目がとまり之れを買う為め右同人方店舗に入りそこで腰を掛けさしてもらつて食したもので、同人店舗に入つた真の目的は之れ以外に何もなかつたものであるが右同人が予而から相被告人柏原静江を知つていた人であつた為め右日開野綾から「奥様しつかりやりなはれ」と励まされたので儀礼的に「どうぞよろしく」と挨拶をしたに過ぎないもので前記豊田方に於ける場合と同様戸別訪問罪を構成するものでは断じてないものである。<4>浜スミヱ方に於ける行為は被告人は同人の娘を預り天理教で世話して居るので常に同人の様態を知らして居たものであるので被告人は同人の娘の様態、近況を話してやる為め同人方を訪れたものであり、原審が引用にかかる原審公廷に於ける証言を見るも其の殆んどが娘の事についての談話に終始して居た事が明かである。別に選挙運動を為す為めに同人方を訪ねたのでもなく又同人方に対してはそんな必要の少しもない間柄で、柏原候補の世話で娘が病気がよくなつて居り神様の様に柏原候補を見ている同人方に選挙運動に行く筈はなく只娘の事を心配して居る同人に安心させてやる為め立ち寄つたに過ぎないものである。断じて投票依頼等選挙運動にして居るものでない。最も原審引用にかかる同人の検察官に対する供述調書には被告人が同人方で選挙運動を為したる様な記載があるが原審公廷に於ける同人の証言に明かな様に「寺島さんが私方を訪ねてくれて顔を合すなりいきなり寺島様が言わん内に私の方から娘のことやらでいろいろの話をしましたが選挙のことは話しませんでした。それなのに警察の方は他でも言つて居るのにお前のところで言わん筈わないと私に責めましたのです。それで私はそんならそう云う事にしてつかはれと言つた次第です。」此の様な関係に於て警察員と検察庁官とにつき区別のつかぬ右証人はそのまま警察の通りの供述を認めて居る次第であるが其の証言する様な右証人と寺島被告人及柏原被告人との従来の特殊関係よりして原公廷に於ける証言の通り事実を認定すべきもので此の点に関しては被告人の所為は断じて戸別訪問罪を構成するものではない。<5>柴田モトヱ方の訪問に付ては原審引用にかかる同人の原審公廷に於ける証言の通りで「私が丁度カーテンの布地を買いに行こうと出掛けようとした途端に寺島さんに出合いました。会うや双方が機嫌よろしうございますかと挨拶をしました。そして寺島さんは「又お願いします」と言いました」又弁護人の問に対し問「寺島被告人は証人と会話を交した時どこに立つていたか」答「はつきり覚えませんが庭位の程であつたと思います」との証言の通り買物に出掛けようとした右証人と庭先で会合談話しそのままつれ立つて道路を歩き乍ら話していたと言うのが本件の実際の行為であるが此の様な場所に於て此の様な談話を為すも公職選挙法第一三八条の罪に該当するものではない。<6>酒井ベン方訪問は原審判決引用にかかる同人の証言を以つては被告人の同人方訪問が公職選挙法違反に該当するものであるかどうか判断をする事が出来ない。此の点についての原審認定は証拠によらずして其の事実を認定した違法がある。以上の様に被告人の行為は戸別訪問とはなるものでないが仮りに戸別訪問となるとすると個々面接が取締の対照とならないが只戸別訪問の罪を残存せしめた現行公職選挙法にありては戸別訪問罪構成の要件である「居宅を訪問」の意義は従来の判例のそれとは異なる解釈を為さるべきものと信ずる。即ち従来は訪問さるる場合は必ずしも居宅たるを要せず社会観念上居宅に準ずる場所を以て足るものとされて居るが現行法に於て個々面接を許したるになお戸別訪問を処罰するのは戸別訪問を為す場合には其の機会に投票買収等の悪質犯罪が犯さるる危険があるものとしてなお之れを処罰せんとする悪質犯防犯の目的を以つて残存せしめたものである事は立法の経過より見て明かな所であるが本件の様に公道と接着せる店先敷居の内とか外とか云う場所乃至は公衆の自由に出入し得る又は公道より公衆が容易に見透せる謂所公開せる店舗や庭先に於ける公然とせる談話による挨拶行為の如きは公職選挙法第一三八条の戸別訪問罪に該当するものではないと信ずる。右次第であり原審が被告人に対し此れ等の事実を有罪と認定したのは事実誤認又は適条違反の違法があるもので原審判決は此の点に於ても破棄を免れないものと信ずる。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例